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8月, 2021の投稿を表示しています

藤本先生「いろどりマーケット」を知る

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 出石と言えば、数多くの蕎麦屋が軒を並べる歴史情緒あふれる町並み。 そして、その中央には辰鼓楼とその背後に出石城跡…美しい景色です。 しかし、そんな観光名所にもなっている美しい町並みも、 一筋奥に足を踏み入れると…今も生活している人々が居ます。 出石のメインストリートは出石城の正面の城門に続く「大手前通」ですが、 今回のお話の舞台となるのは「田結庄通り(タイノショウドオリ)」です。 戦国時代の武将一族「田結庄氏」の屋敷があったことが この通りの名前の由来となっているそうです。 この通りは観光客が楽しむための場というよりも、 地元の人々の日常の場となっています。 かつては、商店街として賑わっていたそうですが、 時代の流れの中で、少しずつ寂れつつありました。 そうした中で「かつての街を取り戻したい!」と奮い立ったのが、 この商店街で生まれ育った女性三人組でした。 今回はその女性三人組の一人、haru no hikari のヒカリさんにお話を伺いました。 ヒカリさんの話によると、コロナ禍で皆が自宅に閉じこもる中で、 「何かできるのでは?」ということで始まったのが「イロドリマーケット」。 月に一回の頻度で田結庄通りにマーケットが開かれて、 お弁当やパンなどのテイクアウトの食事も取ることができます。 実は、このマーケット、観光のために始まったものではなく、 地元の人による、地元のためのマーケットなんです。 思い返すと、私の子供の頃にも小さな商店街がありました。 文房具屋、クリーニング屋、パン屋、電気屋、小さなスーパー、酒屋、中華料理屋…。 小さな住宅街の中の小さな商店街…でも生活は成立していました。 初めてのお遣いは焼きそばに入れるための青ネギ…。 そんな小さな世界はコープデイズとミドリ電化が登場すると、 商店街で完結していたはずの生活は一変してしまいました。 それでも、平成の時代にはまだまだ現実の店舗で対面で買い物をしていました。 しかし、現在ではネット通販によって、店舗にさえ出向かないことも増えました。 全国的に「シャッター商店街」というのが問題になっていますが、 商店街を復活させるためには、日常生活と消費を考える必要があります。 とはいえ、これを変えるのは決して簡単ではありません。 どうしても、品揃えが豊かで、早くて、安いものを求めてしまいます。 イロドリマーケットの試

藤本先生「楽々鶴」を知る!!

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 但馬のお酒と言えば香住鶴さんが有名ですが、 出石にも造り酒屋が存在しているのです。 その名は「楽々鶴(ササヅル)」、創業は宝永5年(1708年)となっていますが、 実際にはもう少し遡るかもしれないとのことです。 楽々鶴さんの紋、よく見ると、羽の裏が黒いんです。 カンの良い人は気づいたかもしれません。これはコウノトリなんです!! コウノトリは「松上の鶴(ショウジョウノツル)」とも呼ばれ、 花札の鶴もその正体はコウノトリなんです。 ところで、出石そばは信濃から但馬へと国替えとなった仙石政明という人物がそば職員を連れきたのが始まりとされていますが… その年が宝永3年(1706年)ということなので、酒造りを奨励して創らせたのも仙石政明!? 宝永大噴火が宝永4年(1707年)に起きた直後ということで、 全国的に復興のために資金が集められた時勢だったはず…。 そうした中で酒造りを奨励したということなので、中々の強者の予感です。 それにしても、そばに日本酒…中々、ツウなお方だったようですね…。 さてさて、そんな歴史を持つ楽々鶴さん、現在の店舗はというと、 明治9年(1876年)に建てられたもの…意外に新しそうです。 実は、明治9年という年は出石にとって大きな意味を持つ年でした。 出石藩士が泥酔して…イワシを焼いて…大火災!! 「出石大火」の年でした。 当時の楽々鶴さんの建物にも火が移り、現在の建物の範囲を除いて、 大部分が焼けてしまったそうです。 楽々鶴さんでは、酒米の話や、コロナ禍での酒造業界の課題など、 本当に多くのことを学ばせていただきました。 楽々鶴さんが使っている酒米は兵庫県中部の五百万石が多いそうです。 最近は食用米を使った日本酒もありますが、それはかなり難しいそうです。 食べて美味しいと感じるお米の味は実際には微妙な雑味に正体があるようで、 酒造りに食用米を使うと通常は上手くできないとのこと…最新技術が気になります。 コロナ禍での日本酒業界は、やはり、飲食業界の低迷に直結しているようで、 特に飲食店頼みだったところは減少幅が大きいそうです。 他にも、全国的に地域の祭りや集まりなども自粛モードで行われない状況が続き、 そうした、状況もあって酒造メーカーは苦戦が強いられているようです。 実は、コロナ禍に関わらず、日本酒の出荷量は1973年をピークに年々減少し続けており

藤本先生「但馬醸造所」を知る

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発酵食品は世界中に存在しているにも関わらず、その味も千差万別です。 世界の様々な料理は発酵食品によって特徴づけられている側面もあります。 世界に誇る日本料理。やはり、その核となるのは醤油、味噌、酢、酒…。 日本食文化は発酵食品によって支えられていると言っても過言ではありません。 「文化を知るには醸造工程を知れ!!」と言った人が居るとか居ないとか…。 ということで、今回は養父市の「但馬醸造所」を訪問してきました。 但馬醸造所は国内外に12のグループ企業を持つ、 「日の出ホールディングス」のグループ会社の一つです。 但馬醸造所は但馬という地にあって、 小回りのきく組織体制で次々を新商品を生み出しています。 訪問して最初に驚いたのはその佇まい…。 廃校となった小学校を改築して醸造所に改築…むしろ改造?…されています。 但馬醸造所を率いる大友所長によると、 「初めて来た時には本当か!?と思った」とのことでした。 但馬醸造所では大友所長のアイデアがすぐに実現され、 その商品ラインナップも非常に多彩です。 あわせ酢、ポン酢、燻製酢、卓上調味料、清酒、ワイン、エッセンシャルオイル…。 醸造工程を経るものは何でも作るという意気込みを強く感じました。 但馬醸造所でお話を伺って最も驚いたのはその販路です。 実は、商品の4割は海外輸出とのことでした。 大友所長によると、国内では単なる価格競争に陥ってしまっていて、 適正な価値判断ができるのは海外市場であるとのことでした。 地方の工場から世界の市場で売るという発想はありましたが、 実際に体現しているという話を聞いて、正直、驚きました。 とはいえ、利益という点だけに絞って考えると、 決して簡単ではないそうです。 グループ会社の商品開発拠点としての位置づけや、 企業としての地域貢献という点があって成り立つ面もあるそうです。 それにしても、本当に多彩な商品ラインアップです… 但馬醸造所の地域貢献として最も重要なことは、 地元との繋がりを重視し、地元の産品も積極的に使っていることです。 養父市の特産品である「朝倉山椒」を使用した「柚子山椒」、 但馬漁協の鰰(ハタハタ)を使った魚醤、コウノトリ米を使った清酒、などなど… 原材料だけではありません。商品のラベルを手掛けるのも地元の書道家「華汀」さんです。 日・パラオ外交関係樹立25周年記念式典でパフォー

藤本先生「宝塚ジビエ」を知る

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山村や農村での人々の活動が停滞すると…動物たちの活動が活発になります。 このように聞くと、童謡「森のクマさん」的にノホホンと聞こえるかもしれません。 ところが、この問題は想像以上に深刻な問題となっています。 動物が人里に降りてきて田畑を荒らし、時には人を襲うこともあります。 かつては、人里と山との間には「里山」という緩衝地帯があって、 その緩衝地帯のおかげで、人と動物は一種の棲み分けができていました。 ところが、人が管理する「里山」が荒廃したことによって、 山と人里とが直接的に隣接するようになっていきました。 イノシシ…水田で泥浴びして稲を荒らし、 畦を崩して水路に土砂や石を落とします。 サル…片っ端から農作物を荒らします。高級なものから狙います。 知能が高く、集団で戦略的にやってくるので対策が困難です。 シカ…樹木の表皮を剥ぎ取って食し、樹木を立ち枯れさせます。 他にも、田植え直後の苗など、とにかく山野の植物を片っ端から食い尽くします。 クマ…甘いものが大好きで民家の果樹を食べに来るほか、 ときにはその力強い腕力と牙を使って人を襲うこともあります。 他にもヌートリア、アライグマ、アナグマ、タヌキ、ハクビシン… 養父市の場合、農業と林業をあわせて3千万ほどの被害額にも上ります。 動物好きの人にとってはカワイイ動物たちに見えたとしても、 農業や林業に携わる人々にとっては非常に深刻な問題です。 そうした状況に対して活躍する人々が「猟師」と呼ばれる人々です。 害獣と呼ばれる動物を様々な方法で駆除します。 ということで、前置きが長くなりましたが、 今回は養父市大谷地区の「宝塚ジビエ」さんのところに行ってきました。 宝塚ジビエを訪問して最も驚いたことは「鹿肉」のクオリティ!! 品質管理を徹底していて、確かに見せてもらった肉は…美しい…。 「本当の鹿肉の味を知ってもらいたい」ということで最初に振る舞って頂いたのは、 低温調理器を使って作られた鹿肉!! 臭みはなく、味は甘みを感じる赤身肉でした。 今回はこの絶品の鹿肉を食べながら、 狩猟から屠殺、精肉までの過程をビデオを見ながら丁寧に説明して頂きました。 これは以前から聞いて知っていたことですが、 ジビエの肉として鹿肉は市場にはあまり出回りません。 イノシシの場合にはざっくりで5割り程度が可食部となりますが、 シカの場合には2割り

藤本先生「竹林亭」を知る

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出石と言えば蕎麦というイメージですが、 地元の人がいつもそばを食べているかというと… ということで、今回は地元の人に愛される「竹林亭」に行きました。 外観も内装も竹が使われており、竹林のイメージそのままです。 味噌煮込みうどんがおすすめということでしたが、 土壇場で牛すじカレーうどんに変更してしまいました…。 地元の方々に愛されるのも納得の味でした!! 一度食べたら病みつきになりそうなお味でした。 ところで、この「竹林亭」…知れば知るほど謎が深まります。 なぜ「竹林」なのか?なぜ「うどん」なのか? …ということで、ご主人に聞いてみました。 ご主人、非常に面白い方で、色々と教えてくれました。 まずは、「竹林」にした理由。非常に意外なお答えでした。 「手入れが楽そう」と考えたかららしいのですが…ところが… 竹が増えすぎて、秋頃には数百本の竹の伐採に追われるとか… 店内の竹林を模したディスプレイは衝立の代わりとのことですが、 当初は夜中に竹がけたたましい音を出して割れたこともあったそうで… 今では店内の竹たちも「やんちゃ」な時期を終えて落ち着いたらしいですが、 色々と大変だったそうです。 もう一つの疑問なのが出石で手打ちうどんを出している理由です。 出石では蕎麦というのが通常のイメージなのですが… すると、これも意外なお答えをいただきました。 実は、当初は蕎麦も出していたとのことでした。 ところが、蕎麦だと観光客が中心となり、 お昼時には蕎麦だけになってしまい、他のものが出せません。 しかも、非常に多忙となるので、早くに店じまいになってしまうそうです。 確かに、少し遅くに出石に行くと、売り切れにになっていることも少なくありません。 そうした理由から、普通の定食屋としてやっていくためには、 どうしても蕎麦から離れる必要があったそうです。 しかし、出石にあって蕎麦をやめるというのは簡単では無さそうです。 出石蕎麦を満腹になるまで食べると…成人男性だと3000円を超えてしまいます。 ところが、うどんとなると、せいぜい、一人前は1000円が限度となります。 うどんの方が原価率が高いので、粗利は低くなります。 もちろん、これは蕎麦屋が儲かるという単純な話ではなく、 「出石」というブランドがあってこその話にはなりますが…。 とはいえ、出石では「儲け」を考えると普通の定食屋をするよりも