藤本先生「いろどりマーケット」を知る

 出石と言えば、数多くの蕎麦屋が軒を並べる歴史情緒あふれる町並み。
そして、その中央には辰鼓楼とその背後に出石城跡…美しい景色です。

しかし、そんな観光名所にもなっている美しい町並みも、
一筋奥に足を踏み入れると…今も生活している人々が居ます。

出石のメインストリートは出石城の正面の城門に続く「大手前通」ですが、
今回のお話の舞台となるのは「田結庄通り(タイノショウドオリ)」です。





戦国時代の武将一族「田結庄氏」の屋敷があったことが
この通りの名前の由来となっているそうです。

この通りは観光客が楽しむための場というよりも、
地元の人々の日常の場となっています。

かつては、商店街として賑わっていたそうですが、
時代の流れの中で、少しずつ寂れつつありました。

そうした中で「かつての街を取り戻したい!」と奮い立ったのが、
この商店街で生まれ育った女性三人組でした。

今回はその女性三人組の一人、haru no hikari のヒカリさんにお話を伺いました。


ヒカリさんの話によると、コロナ禍で皆が自宅に閉じこもる中で、
「何かできるのでは?」ということで始まったのが「イロドリマーケット」。

月に一回の頻度で田結庄通りにマーケットが開かれて、
お弁当やパンなどのテイクアウトの食事も取ることができます。

実は、このマーケット、観光のために始まったものではなく、
地元の人による、地元のためのマーケットなんです。

思い返すと、私の子供の頃にも小さな商店街がありました。
文房具屋、クリーニング屋、パン屋、電気屋、小さなスーパー、酒屋、中華料理屋…。

小さな住宅街の中の小さな商店街…でも生活は成立していました。
初めてのお遣いは焼きそばに入れるための青ネギ…。

そんな小さな世界はコープデイズとミドリ電化が登場すると、
商店街で完結していたはずの生活は一変してしまいました。

それでも、平成の時代にはまだまだ現実の店舗で対面で買い物をしていました。
しかし、現在ではネット通販によって、店舗にさえ出向かないことも増えました。

全国的に「シャッター商店街」というのが問題になっていますが、
商店街を復活させるためには、日常生活と消費を考える必要があります。

とはいえ、これを変えるのは決して簡単ではありません。
どうしても、品揃えが豊かで、早くて、安いものを求めてしまいます。

イロドリマーケットの試みは非常に面白い取り組みに見えました。
豊岡演劇祭では田結庄通りも舞台になるという話も聞きました。

商店街に新しい価値も見出す試み…微力ながら応援したいと思います!!


コメント

このブログの人気の投稿

藤本先生「豊岡病院」を知る

藤本先生「但馬牛」を知る

藤本先生「竹林亭」を知る