藤本先生「豊岡病院」を知る

 但馬地域は四季を通して様々なレジャーを楽しむことができます。
その中でも特によく知られたレジャーがウィンタースポーツ!!

いわゆる、スキーやスノーボードは但馬地域の一大産業となっていて、
神鍋高原やハチ高原などは全国的に知られたスキー場も数多く存在しています。

芸術文化観光専門職大学から神鍋高原は自動車で40分ほどで行ける距離で、
アップ神鍋スキー場はナイター営業もしているので、仕事終わりにスキーもできます。

ということで、張り切ってスキー三昧を楽しむべく、シーズン券も買ったのですが…
シーズンがいよいよ本番という次期にスキーで派手にクラッシュしてしまい、
右足の脛骨と腓骨、さらには、膝関節の骨を折ってしまいました…。

完全にスネから下がおかしな角度に曲がってしまい、動けない中、
近くのスノーボーダーの方々に救急車を呼んで頂き、救急搬送されました。

幸いなことに、公立豊岡病院(以下、豊岡病院)が受け入れてくれることになり、
約2ヶ月間にわたって豊岡病院での入院生活を送ることになりました…。




さて、この2ヶ月間の入院期間というのは、私にとっては非常に貴重な体験でした。
それまで、地域医療のことに関しては無関心とは言わないものの、

それほど多くを知っていたわけではありませんでした。
しかし、実際に入院し、病院という世界を中から見るうちに、
非常に多くのことに気づくようになり、地域医療の重要性を知ることになりました。

さらに、入院中に豊岡病院の歴史にも触れる機会が多くあり、
改めて、豊岡病院という存在について認識することにもなりました。

ということで、今回は豊岡病院で色々とお話を伺ってきました。
お話を伺ったのは、公立豊岡病院管理部長の白髭さんと、
広報・患者サービス推進課課長の岸本さんです。

私がお世話になった公立豊岡病院は、その名に「公立」を関するように、
公的な機関が運営している病院です。

「県立」でも「市立」でもなく、「公立」となっているのは、
豊岡市と朝来市が医療行政を共同処理(病院経営)するために設置された
特別地方公共団体が運営する病院であるためです。

こうした形態をもつ組織を「一部事務組合」と呼び、
但馬地域では、消防やごみ処理なども同様の組織で運用されています。

組合に入った地域には、日高病院、出石病院、梁瀬病院、和田山病院の4病院が設置され、
現在では日高医療センター、出石医療センター、朝来医療センターの
3センターが地域の医療を支えています。

ちなみに、養父市には公立八鹿病院があり、香美町の村岡病院と同系列となっており、
香美町の旧香住町には日本海員掖済会香住病院にルーツを持つ公立香住病院があります。

新温泉町の公立浜坂病院は公立豊岡病院の系列であった時期もありましたが、
独立し、旧浜坂町のエリアには公立浜坂病院が、
旧温泉町のエリアには3つの診療所が機能しています。

豊岡病院の歴史は非常に古く、
1871年7月に豊岡町小田井に医局が開設されたことを起源とされています。
公立病院としては、市立札幌病院に次いで、日本で二番目に古い病院と言われています。

場所に関しても、これまでに三度の移転があり、
最初は現在の豊岡市立図書館の南東のエリア、
次の移転先となったのは、現在のウェルストーク豊岡がある立野橋の辺りでした。

2004年の台風23号によって水没する事態になりましたが、
ちょうど、その時に戸牧への移転が決まっていたのは不幸中の幸いだったとか…。

豊岡病院は昨年150周年の節目を迎える年であったので、
2Fの待合フロアなどには、創立150周年に関するポスター展示もあります。


豊岡病院の開設当初は、主に天然病対策が重要な役目だったそうで、
主に低所得の人々のための施療組織を目指していたそうです。

また、先端的な取り組みを続けてきた病院でもあって、
病院での死体解剖を最初に行ったとの記録もあります。

設立当初から、病院と医学校がセットとなることも期待されていたようで、
当初から地域の医療を担うべくして運営されてきた、地域のための病院でした。

残念ながら医学校の設立は叶いませんでしたが、1941年に組合立豊岡農業高校を開設し、
都市への人口流出を防ぎ、医療の充実とともに農業の近代化を目指した時期もありました。

豊岡農業学校は豊岡実業高等学校に統合・農業科となり、
分離独立して豊岡農業高等学校となり、豊岡南高等学校を経て、
現在の豊岡総合高等学校へと引き継がれていくことになりました。

経営戦略としての農業高校の設立の是非については置いておいたとしても、
医療のみならず、様々な視点で地域課題に正面から向き合ってきた病院です。

そうした、豊岡病院の地域での立ち位置は現在でも変わっておらず、
2018年には「地域医療支援病院」と呼ばれる病院に承認されています。

「地域医療支援病院」は、単に医療サービスの提供だけではなく、
地域の医療水準の向上に資する病院になります。

もちろん、現在に至るまでは非常に山あり、谷ありの歴史があって、
地域に受け入れられるまでに長い時間を要してきたようです。

また、市町村合併に翻弄されたり、負担金をめぐる対立問題など、
政治的な問題が影響したことも度々あったようです。

北但地震や室戸台風、2004年の台風23号といった災害の被害を受けたり、
病院での労働条件が問題となって、大規模なストライキが行われたこともありました。

こうした、様々な困難と向き合いつつ、それぞれの時代の社会的要請に応えつつ、
三度の移転を経て、518床の病床を要する大病院として様々な役割を担っています。

現在では、但馬地域におけるあらゆる医療サービスを提供する唯一無二の存在です。
特に重要な役割が「急性期医療」です。もしもの時は…。

但馬地域では、24時間、365日救急車受入れ可能な救命救急センターは豊岡病院だけです。
ナイタースキーで骨折した私も豊岡病院が無ければ…一大事だったハズ…。

2010年には兵庫県、京都府、鳥取県の共同事業でドクターヘリの運行を開始し、
ドクターカーの運行も同年に開始しています。

さらに、2015年には周産期医療センターも開設し、
重篤な救急救命を担う存在となっています。

急性期医療を担う病院として豊岡病院は国内でもよく知られており、
医療関係者からも注目を集めているそうです。

実際に、私の治療を担当してくださった主治医の先生や、
看護師さんの中にも、急性期医療に携わるために来た人が居ました。

もちろん、豊岡病院がより高度な医療設備に投資し続けてきたからこそ、
そうした意識が高く、技術の高い医療従事者が来てくれていると言う面もあります。

このように地域の医療を支える存在として、重要な役割を担い、
医療関係者の中では良く知られた病院ではありますが、課題も多くあるようです。

その中でも特に深刻な問題は医療従事者の人材不足の問題です。
豊岡病院はこれまでにも、何度も医師不足の危機に貧したことがあり、
その度に医学部を持つ大学に協力を得て、医師を派遣してもらってきました。

但馬地域においても、医師の確保ができずに、診療体制を縮小する病院もあり、
いかにして、医師を確保するか、という問題は非常に深刻な課題となっています。

そのため、地方で医師を確保するためには、最新の医療機器を揃えるなど、
大学病院が医師を派遣しやすいような環境を整えることが必要となります。

看護師不足も深刻な問題です。最近では美容ビジネスが隆盛してきたことによって、
美容業界への人材流出も起きているそうです。

確かに、入院して目の当たりにした看護師の仕事は大変そうに見えました。
看護師の勤務は日勤、準夜勤、夜勤の3交代制となっていて、
特に、夜勤の担当となると、少人数で様々な状況に対応する必要があります。

看護師の労働環境については、これまでにも度々大きな問題となった過去があり、
「夜勤の当直は2人以上・夜勤は月8日以内」を求める、
「ニ八闘争」と呼ばれる運動もありました。

様々な経緯を経て、看護師試験の合格率の操作によって看護師不足を防ぎつつ、
今では、経営努力によって労働条件の改善が試みられて現在に至っているそうです。

とはいえ、やはり、人の命に関わる職場ということもあり、
決して、楽な仕事であるとは言えません。

私が入院していたのは整形外科の病棟だったのですが、
認知症など高齢患者特有の色々な問題への対応も必要な状況でした。

特に、コロナ禍のために家族の面会に制限がかけられたことによって、
従来は親族にお願いしていたことも、看護師がしなくてはなりません。

また、親族との連絡が電話のみとなることで、情報がきちんと伝わらず、
疑心暗鬼とまでは言わないものの、不安を与えてしまうこともあるそうです。

人材不足という点では、看護師よりもさらに深刻なのが「薬剤師」だそうです。
労働環境と賃金という点で見ると、ドラッグストアや調剤薬局の方が働きやすいそうで、
看護師と同様に病院で働いてくれる薬剤師は常に不足している状況のようです。

病院の薬剤師という仕事は非常に重要で、患者の状況に応じて、
ときには患者と主治医の間に立って、適切に薬に関する情報を提供することが要求されます。

実は、私が最初の手術を受けた後、かなりひどい偏頭痛に悩まされたのですが、
通常の頭痛薬がまったく効かず、吐き気を伴う頭痛で三日三晩苦しんだことがありました。

そのときに薬剤師の方が私の病歴や投薬歴についてヒアリングをしてくれて、
私の体調や状況を考えて、主治医の先生に助言をしてくれたことがありました。

その結果、偏頭痛の症状はすぐに改善され、
病院の薬剤師の偉大さを身をもって体験したことがありました。

少子高齢化が顕著な地方にはドラッグストアが非常に多く存在します。
処方箋を持っていくと薬が買えて、ついでに、生鮮食品や日用品なども…。

規則正しい生活を送る高齢者にとっては、24時間営業のコンビニよりも、
薬も買えるドラッグストアの方が便利なのです。

しかし、ドラッグストアが営業するためには薬剤師が必要となります。
そのため、地方に行くほど、ドラッグストアが競合相手となってしまいます。

医師も、看護師も、薬剤師も…慢性的な医療従事者の不足は非常に難しい問題です。
もちろん、こうした状況に対して、豊岡病院としても様々な取り組みを行っています。

看護学校の学生に対する奨学金制度と設け、卒業後に一定期間働いてもらうようにしたり、
高校などへの出前講義を行い、医療現場で働くことの素晴らしさを伝えているそうです。

2022年度の「おんぷの祭典」のファイナルコンサートで登場したジュニア・ソリストが、
インタビューで「看護師を目指している」と話していましたが、
そうした成果の現れかもしれません。

他にも、労働環境の改善を図り、医師、看護師、一般事務の役割分担の明確化を図ったり、
情報通信技術を用いた働き方改革も目指しているようです。

とはいえ、病院経営は簡単ではなく、限られた予算の中で、
適切な設備投資をしていくことは非常に難しいことのようです。

こうした問題は大都市の一部の病院を除いて、全国的な課題となっています。
一方、豊岡病院特有の問題というのもあります。

実は、私も入院するまでは知らなかったことなのですが、
「病院」の主たる機能は「入院」であって、「外来」ではありません。

そのため、病院経営についても、入院病床を軸に設備投資などが検討されます。
ところが、豊岡病院ではその性質上、外来患者に目を向ける必要があります。

例えば、簡単な血液検査でさえも、小さな診療所では受けることができなかったり、
検査結果を得るまでに時間がかかってしまうこともあります。

問題は、この外来対応が今後どのようになっていくのか?という問題です。

現在は診療所の数も一定数ありますが、診療所の医師の高齢化にともなう閉鎖や、
そもそも、高齢化の進行にともなう人口減少と、それによる収益の悪化も危惧されます。

そうした状況が続くと、必然的に豊岡病院が外来患者についても責任を持つ幅が広がります。
また、「地域のかかりつけ医」の消滅によって、日常的な経過観察の問題も出てきます。

つまり、将来的には外来患者への対応が重要になっていく可能性が高いと言えます。
この点については、どのように対応していくべきか出口は見えていないようです。

今回の取材を通して、公立豊岡病院の歴史や特色について学ぶとともに、
地域医療のあり方について、様々な問題意識を持つことができました。

地域社会が抱える少子高齢化という根本課題を抱える中で、地域医療の将来像については、
医療関係者のみならず、様々な観点から議論するべきだと感じました。

また、但馬地域がレジャーを中心とした観光地の可能性も模索するのであれば、
観光地としての医療体制を考え直すことも必要だと感じました。

お忙しい中、時間を割いてくださった、白髭さんと岸本さんには心から感謝します。
また、私事ではありますが、入院中にお世話になった全ての方々にも、
改めて御礼申し上げます。

ありがとうございました!!



コメント

このブログの人気の投稿

藤本先生「但馬牛」を知る

藤本先生「竹林亭」を知る