藤本先生「楽々鶴」を知る!!

 但馬のお酒と言えば香住鶴さんが有名ですが、
出石にも造り酒屋が存在しているのです。

その名は「楽々鶴(ササヅル)」、創業は宝永5年(1708年)となっていますが、
実際にはもう少し遡るかもしれないとのことです。


楽々鶴さんの紋、よく見ると、羽の裏が黒いんです。
カンの良い人は気づいたかもしれません。これはコウノトリなんです!!

コウノトリは「松上の鶴(ショウジョウノツル)」とも呼ばれ、
花札の鶴もその正体はコウノトリなんです。


ところで、出石そばは信濃から但馬へと国替えとなった仙石政明という人物がそば職員を連れきたのが始まりとされていますが…
その年が宝永3年(1706年)ということなので、酒造りを奨励して創らせたのも仙石政明!?

宝永大噴火が宝永4年(1707年)に起きた直後ということで、
全国的に復興のために資金が集められた時勢だったはず…。

そうした中で酒造りを奨励したということなので、中々の強者の予感です。
それにしても、そばに日本酒…中々、ツウなお方だったようですね…。

さてさて、そんな歴史を持つ楽々鶴さん、現在の店舗はというと、
明治9年(1876年)に建てられたもの…意外に新しそうです。

実は、明治9年という年は出石にとって大きな意味を持つ年でした。
出石藩士が泥酔して…イワシを焼いて…大火災!! 「出石大火」の年でした。

当時の楽々鶴さんの建物にも火が移り、現在の建物の範囲を除いて、
大部分が焼けてしまったそうです。

楽々鶴さんでは、酒米の話や、コロナ禍での酒造業界の課題など、
本当に多くのことを学ばせていただきました。

楽々鶴さんが使っている酒米は兵庫県中部の五百万石が多いそうです。
最近は食用米を使った日本酒もありますが、それはかなり難しいそうです。


食べて美味しいと感じるお米の味は実際には微妙な雑味に正体があるようで、
酒造りに食用米を使うと通常は上手くできないとのこと…最新技術が気になります。

コロナ禍での日本酒業界は、やはり、飲食業界の低迷に直結しているようで、
特に飲食店頼みだったところは減少幅が大きいそうです。

他にも、全国的に地域の祭りや集まりなども自粛モードで行われない状況が続き、
そうした、状況もあって酒造メーカーは苦戦が強いられているようです。

実は、コロナ禍に関わらず、日本酒の出荷量は1973年をピークに年々減少し続けており、
一方で、業界全体として新規事業として参入するにはハードルが高いそうです。

日本国内での需要は落ち着き、緩やかなな下降線を辿っているのですが、
海外では香港や中国での売れ行きは好調で海外輸出は大きな鍵となりそうです。

特に地方の小さな造り酒屋にとってはネット販売や海外輸出は簡単ではありませんが、
日本の酒文化を維持するためにも、そうした方向性を考えることも重要かもしれません。

確かに補助金制度は重要ですが、ものづくりは消費に支えられるものです。
楽々鶴さんでの色々な話は日本酒業界における「消費」を考える機会になりました。

コロナ禍に外で飲み歩くのは憚られますが、家庭でも日本酒を楽しみましょう!!
そして…出石にお立ち寄りの際にはぜひ、楽々鶴さんにもお立ち寄りください。

おすすめは上撰原酒…キンキンに冷やして魚介と合わせると最高です。

↑生カツオとガーリックマヨネーズのカルパッチョと蒸し栄螺


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